2015年3月21日 / 最終更新日時 : 2017年9月7日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (最終回)僕はなぜ僕なのか? これまでニュース解説者としての池上彰、ジャーナリストとしての池上彰について書いてきた。 最終回の今日は、池上彰のもう一つの顔について述べておきたい。 池上は2012年2月から東京工業大学リベラルアーツセンターで教授として […]
2015年2月21日 / 最終更新日時 : 2015年3月21日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第28回)民放の番組に参加する 2005年にNHKを退職した池上彰は、もっぱら書籍の執筆に取り掛かった。 書かなければならない本が、いくつも無限に池上の前には広がっていた。だが「週刊こどもニュース」での知名度とわかりやすいニュース解説力は、民放各社 […]
2015年1月3日 / 最終更新日時 : 2015年2月23日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第27回)こども目線のインタビュー術 2014年12月14日の衆議院総選挙特番でも、池上彰は俗に”池上無双”と呼ばれる切れ味鋭いインタビューで政治家たちに核心にせまる問いを投げかけ、本音を引き出していた。 特に安部首相に対して、「憲法改正に向けてこれから一歩 […]
2014年12月6日 / 最終更新日時 : 2015年1月11日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第26回)一流記者を上回る取材力を身につける 「記事は足で書け」と言われる。 新聞でもテレビでも、報道機関に入社してニュースを担当する記者となった新人に向かって、先輩記者が必ず叩きこむ言葉だ。これは今も昔も変わっていない、ニュース報道の基本中の基本である。 足で書け […]
2014年10月25日 / 最終更新日時 : 2015年1月11日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第25回)書籍にこだわる 前回書いたように池上彰はNHKを早期退職したわけだが、その主な理由は「執筆活動に専念したい」というものだった。 池上はNHK在籍中から週刊こどもニュースに出演する傍ら、本を書きはじめた。NHK職員が個人として本を出版する […]
2014年9月27日 / 最終更新日時 : 2015年1月11日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第24回)さらばNHK さて、これまで池上彰の「週刊こどもニュース」時代の話を中心に連載してきた。 他にも面白いエピソードは山のようにある。また池上は最初の3年間だけではなく、なんと共演者の家族を変えつつ11年の長きにわたって、週刊こどもニュー […]
2014年8月30日 / 最終更新日時 : 2015年1月11日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第23回)どうしても現場へ!震災報道 1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒、阪神・淡路大震災が発生した。 当然のことながらNHK全体が騒然となり、週刊こどもニュース班も緊急特別報道体制に入った。地震発生当日昼、非番のため自宅で推移を見守ってい […]
2014年8月16日 / 最終更新日時 : 2015年1月11日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第22回)さらに深い解説のための演出 やはり池上彰のダジャレは結局、視聴者に伝わらなかった。 接待が行われた高級しゃぶしゃぶ店に「パンはありません」の張り紙。パンが無いからノーパン。当時はノーパンしゃぶしゃぶ店なるものが流行していた。ゆえにその役人たちの下品 […]
2014年7月5日 / 最終更新日時 : 2015年1月11日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第21回)演出の面白さにめざめる それは家族で人形劇を演じてニュースを解説するという全く新しい演出スタイルへのチャレンジだった。 お母さん役の柴田理恵も3人のこどもたちも、一年以上を経て今や毎週の番組出演に十分慣れてきている。これまではお父さん役の池上彰 […]
2014年6月18日 / 最終更新日時 : 2015年1月11日 admin 連載コラム「池上彰はいかにして池上彰になったか」 (第20回)ニュース人形劇「官官接待」 この人形劇でこどもたちと柴田理恵は飛躍した。 アイデア倒れになるかとも思われた、家族みんなでニュースを考えるために自分たちで人形劇を演じてみようというこの「官官接待」の企画。だめで元々、とにかくやってみようというのが池上 […]