(第11回)わかりやすさの本質
「ニュースをわかるためには、単に言葉の意味がわかるだけじゃだめなんです」。
週刊こどもニュースわからせブラザーズのNHKベテラン記者岡本が放った発言には、池上彰を成長させる重要な含蓄が含まれているので、ここで補足しておこう。
池上彰の母校の創立者でもある福沢諭吉には有名な逸話がある。
あるとき福沢先生は、一番弟子にある難しい論文を要約してくるように、という宿題を出した。
数日後、弟子はさっそく論文を読み解き、自分なりに短くまとめた原稿を持って福沢先生の自宅を訪れた。
座敷で座っている福沢諭吉の前で、弟子はその原稿を読み上げた。
聞き終わった福沢先生はこう言った。
「よくできている。だが表現がこなれていないからだめだ」
弟子は反論した。
「なぜ表現がこなれていないとだめなんですか?難しい内容なんだから難しくて当然じゃないですか」
福沢先生は言った。
「要約の表現が難しくなるのは、君が論文の本質を完全に理解していない証拠だからだ。本当に理解していれば、要約は自然とわかりやすく平易なものになるはずだ。」
そして有名な一言を付け加えた。
「この障子の向こうで聞いている女中にも理解できるくらいわかりやすくなった時、君がその論文を本当に理解したと認めよう」
女中というのは今では好ましい用語ではないが、当時は普通に使われていた。そして福沢諭吉が言いたかったことは、わかりやすく説明するためには、その背景には膨大な知識と完璧な理解が欠かせないということだろう。
わかりやすい、ということはより深く理解できている、ということと表裏一体なのだ。
この精神は週刊こどもニュースを作っていく上でも、一貫して合い通じるものがあった。わかりやすくするために何かをはしょるのではない。逆に何倍もの取材と勉強が必要になる。
池上彰はわかりやすくするために、今までにも増して大量の本を読み込むようになっていった。
(つづく)